明けましておめでとう!

世の中の諸君、明けましておめでとうって感じの朕だ。今日は昨日の2007年の反省を踏まえて、2008年の目標を立てたいと思う。
○今年の大目標―「他力」から「自力」へ―
朕は論文が認められようと認められまいと、いずれにしても学生生活は終了する。今までの泣き言が許される身分から、泣き言がほとんど許されない身分へと変わる。そこで、朕は「他力」から「自立」という大目標を立て、まじめに生きていくことにした。以下から、この大目標を達成するために、朕が必要と思った中目標や小目標を立て、実行していく所存である。
■惰性生活から、自律生活へ
去年は極めて惰性的に過ごした。堕ち放題である。だから、今年は自律的に、規則正しく生活していきたい。また、今まで学生という身分ゆえに経済的自主権が弱かったが、今年の春からは本格的に独立することになる。そこで、目標達成のために具体的な方策を建てておこうと思う。

  • 週間計画表の復活

高校時代のように、充実した日々を取り戻すには、おそらく一日のうちに何時、何をするのかを決めておくことが大切である。それ故に逆に自由に過ごしてよい時間が浮き彫りにされよう。もっとも、3月末からはかなり拘束される生活になるので、計画を立てなくてもそれなりに規則正しい生活にはなると思う。しかし、拘束されているからこそ、自分の時間の使い方を見つめる機会にもなろうから、やはり週間計画表を作成する意義はあると思う。
具体的には、就職に備えて早起き訓練をしなければならない。朝5時45分には起床し、そこからジョギングなり、部屋の掃除なりをして、7時には飯を食べる。そこから昼まで、60分1単位として休憩を10分挟みつつデスクワークを行う…といった具合である。いずれにしても、1月11日までは論文という名の戦争を戦い抜かなければならないので、論文を提出し終えたら計画を実行する。

  • 浪費の排除

おおよそ、やることがないと食い物に逃げたり、タバコに逃げたり、酒に逃げたりと大忙しである。当然、これらは金を使うことになるが、おそらくは必要以上に購入してしまっているのではなかろうか。従って、大学4年まで続けていた家計簿を復活させる。こうすることによって、大学院でたまってしまった320万近い赤字を向う10年のうちに返済することも可能であろう。いずれにしても、金を管理することによって、余暇や趣味の際にいくら使うことができるのかはっきりしてくる。そうすれば、夢を現実にすることも難しくはなかろう。

  • 整理整頓

物が多いと、必然的に収納から漏れ出す物品が出てくる。それは、その部屋の許容量を越えたことの証であり、要するに、それほど物が必要ではないということにもつながろう。しかし、収納スペースを乱雑にしたのでは、その許容量も低下してくる。よって、決められた場所に物を保管し、使用後は決められた場所に物を戻すことが大切である。これによって、自分が暮らす上で必要最小限のものが用意されているのかどうか、ということを把握しやすくなる。この結果、無駄なものが増えず、浪費も最小限に食い止められる。
■健康的で洗練された肉体へ
大学院生だから…ということではないし、結局朕が弱い人間であることが一番良くないのだが、論文ストレスは朕の体重にも重大な影響を与えている。幸い、まだ100kgを超えていないが、朕が見ても健康的とは思えない肉体になってしまった。そこで、朕は健康的で美しい肉体を手に入れるために、具体的な目標を立てた。

  • 食習慣の改善

家に引きこもりがちになると、殊に食い物に手が出てしまいがちである。野菜や魚などであれば、まだマシなのかもしれないが、お菓子や肉などのとにかく太るものを欲してしまう体になってしまった。そこで、論文提出の翌日から、体質改造を行う。具体的には、肉を鶏肉に限り、その調理方法も「ゆでる」というものに限定したい。また、どうしても間食がしたい場合には、野菜や煮干などに限定し、甘味には頼らない。仮に頼るとしても、ダイエット甘味料を用いたものに限る。食事は何食とるかはまだ未定であるが、毎日決まった時間にしたい。また、酒を飲むということが分かっている日は、勤めてカロリー摂取を控えていく。

  • 運動の励行

現在、ほとんど動いていないので、論文提出後、とにかく毎日走る。朕の家から学校までは5kmほどである。また、起伏に富んだコースであるので、それを毎日往復すれば、相当な効果があるだろう。また、学校にはジムがあるので、登校した際には毎回利用し、全身の筋肉を強化していく。これによって基礎代謝が上昇し、日常で消費するエネルギーも高まるであろうから、効果的にやせていくであろう。就職後はいやでも毎日運動することになるので、そこでの効果も期待できる。持病の腱鞘炎が再発しないよう、注意しつつ取り組んでいきたい。

  • 禁煙

本当は吸いたい。しかし、すわなければダメなのかというと、意外とそうでもない。運動を続け、より早い成果を望むとすると、血流を悪くするタバコは必然的に控えざるを得ない。しかし、中途半端に吸い続けるくらいなら、いっそうのこと、やめてしまったほうがいい。よって、朕はタバコをやめることにした。これにより、高い運動能力を回復し、長時間の運動活動を可能にすると同時に、金銭面における節約の効果をも期待するものである。
■勤勉の精神
朕ははっきりいってだらしない人間である。しかし、それが分かっているのであれば、その対策もとりやすい。

  • 巨大な目標を2、3個たてるくらいなら、小さな目標を10個

朕が効果的に勉強をするには、大きな目標を立てるよりも、小さな目標をたくさん立てたほうが良い。そこで、野心的計画を立てるのではなく、現実に用意された時間の中で、何日かけて何をどこまでするのかを細かく定めていく。これによって、自分が何をすべきなのかを自分自身に明確に示すことができるようになり、「何をしたらいいのかわからなぁ〜い」という子供のようなことを言わずに済むはずなのである。

  • 自分に負けない精神力

これはすべての目標に通じることであるが、一つの妥協がすべてをダメにすることはよくある。しかし、人間には完璧は存在しない。どこかで失敗がある。それはそれで仕方がないわけだが、その失敗は堕落であってはいけない。計画通りにできなかったとしても、それが自分の努力の中でできなかったのなら仕方がないが、「面倒だ」といった発想による失敗は、失敗なのではなく、ただの怠慢である。だから、自分のその気持ちに打ち勝つ精神力も持たなければならない。こればかりは具体的な方策というものはないが、朕が知る朕の性格を踏まえて、そのようなときこそ、奮起できるような人間になっていきたい。

朕は以上のような目標のもと、2008年を生きていく所存である。

皇帝的2007年反省会

今年一年の反省をしようと思う朕だ。
今年の1月から3月まではあらゆる忍耐力を問われる期間であった。初めて外向けの雑誌に記事を書く羽目になり、なれない編集活動に苦しんだ。また、ことごとく自分の執筆能力の無さを思い知らされることとなった。これによって先生方や先輩にご迷惑をおかけした。ただ、このときの苦痛は一応後に生かされ、ロジカルに執筆する能力がついてきたし、日本語も相当丁寧にすることができるようになった。もっとも、ここで書いている時は相当適当で、時には読み返して修正を加えているのだが。
4月から6月は教育実習の準備活動やその実地でほとんどが潰れた。中学校の教育実習であったが、正直苦痛以外の何物でもなかった。馬鹿なのは仕方がない。間違いは誰にでもある。それは別に構わない。しかし、授業中ことあるごとに集中力が切れることには我慢ならなかった。普段からまじめクラスであれば、合間合間に閑話休題を入れることもできるが、総じて悪ふざけクラスとなるとそれもままならない。ひとクラスだけまともなところがあって、そこでの授業は楽しかった。苦痛が多いからこそ、そう思ったのかもしれない。まぁ、授業はともかく給食時や休み時間はいろいろ楽しいことがあったことも事実だから、全否定はしない。しかし…もう、うんざり。やはり中学校で先生はできん。いくら先生になりたいといっても、何でもいい…ってワケではあるまいな。ただ、朕自身も反省しなければならない点もある。指導の先生に気を使いすぎて、その先生の教え方にあわせていた。しかし、他の先生と教える知識のことで論争になったとき、朕が言い過ぎたことをお詫びしに行ったら、「実習生は生意気なくらいが丁度いい」とおっしゃってくださった。そう思うと、あえて指導の先生に合わせる必要は無かったようにも思う。もっと、朕のだらけるときはだらける、やるときはやるという、緩急ある指導法をやっても良かったように今は感じる。
この時期に、朕は国家公務員試験を受けた。前の日に仙台のある女子大学の学生さんとバーべキューをしていたくらい、適当に受けた。勉強なんか1分もしていない。それくらい適当だった。しかし、世の中とは不思議なもので、やりたいとは思っていない方向には上手くいってしまうものである。なぜか一次試験を通過してしまった。とりたてて就職活動をしていなかった朕は、結構貴重な切符を手に入れたことになる*1。その一ヵ月後に二次試験を受けて、そこで色々ぶっちゃけまくってしまった。この段階で、朕は少々派手にやりすぎたと思ったので、2008年はルンペンになる覚悟をしていた。
7月から9月は…調子に乗って遊びすぎたw まぁ、笑い事じゃないんだが…。7月の頭から末まで、教員採用試験が目白押しであった。多分、その反動もあったかもしれない。勉強自体は一応、やってはいたのだが、日本史が相変わらず弱い。日本の仏教史を概観せよなんて問題もあったが、用語を指定されると逆にやりにくい。いや、逆に用語が指定されているということは、その用語が登場する時期のポイントに絞って解答できるから、ある意味楽ではある。しかし…それって勉強している人だからできることだよな。見通しが甘かったなぁ。一方、別の国家公務員試験の二次試験の結果発表は9月に行われた。結果は見事というか、なんというか、合格であった。教員採用試験はこのときまでに全滅していたので、朕はルンペンになることを回避するために、已む無くその現実を受諾することとした。とりあえずは逃げ込んでおく。そしていずれ気が熟したら、再び活動を開始する。それで良しとすることとした。
10月から12月は体調不良が著しい期間であった。体調不良の合間に省庁研修でたっぷりいい思いをさせてもらっていた。まぁ、いい思いといっても普段見せてもらえないものを見せてもらったり、色々な裏話を聞かせてもらったり…といったことであるが。まぁ、こんな調子で今に至るわけだ。今は論文の執筆でぐったりしておる。

一年を総じて、去年と引き続いて研究室内の冷戦を戦うことを強いられ続けた。正直、精神的にかなり参ってしまい、それで病院にいったこともある。まぁ、薬をもらうほどじゃなかったし、朕も薬は断ったのである。薬は最後の手段であって、それまでは静養や遊びによって対処してきた。論文ストレスによって、精神的な面にぶり返しがみられるようになってきたが、あと少しの辛抱である。諸君はどのような一年であっただろうか?

*1:就活は、とある旅行会社の試験を受けたが、数学的な問題において壊滅してしまった。一応、二次面接までは通ったのだが、まぁ、誰でもそこまではいけるもんな。

素晴らしき環境保護活動

いや〜素晴らしい! 朕はその崇高な志に感服するよ…って感じの朕だ。

○【日豪】反捕鯨活動家たちが日本領事館で赤インクをぶちまけて汚す。豪警察は「罰するほどではない」と逮捕せず
1 名前:どろろ丸φ ★ 投稿日:2007/12/28(金) 00:08:33 ID:???0
捕鯨活動家たちがメルボルンの日本領事館で血液に似せた赤インクをぶちまけて汚した。領事館のスポークスマン(氏名を明かさず)は、6人ほどの活動家たちが今日午後、エリザベス通りに建つメルボルン・セントラルビル45階にある日本領事館の中で赤インクをカーペットの上にぶちまけたと語った。
活動家の関係者だという男性が語るには、彼らグループの今回の行動は来月には南洋で始まる例年の日本の調査捕鯨が「冷酷で最低」な慣行であることを際立たせたかったのだという。
オーストラリア連邦警察のスポークスウーマンによれば、AFP保安局職員が活動家たちをビルから追い出したが逮捕はしなかったという。
一方、ビクトリア州警察は捜査も行わなかった。彼らは立ち去る前に汚したところを掃除しようとしていたので罰することもないと、ビクトリア州警察のスポークスウーマンは語った*1

環境保護には様々な手法がある。単純に無駄遣いをやめる…ということが一つに考えられよう。極端なところまで行けば、どこかの国の宗教のように不殺に徹してみたり、完全な有機栽培による植物系の食物のみを食べる…といったことも一つの方法である。緩い考え方であれば、環境を壊すことを最低限にする…という方法もあろう。言い換えれば、共存を目指す…とでも言えるかもしれない。一番現実的なのはこの路線であろう。無駄に開発をせず、開発した土地が不要になったら、また自然に返す。少なくとも日本国内においてリサイクルの共通規格を作り、資源の回収率を高めることができれば、それも不要な開発を防ぐことができるのではなかろうか。食料も必要なものプラスアルファを作っていけば、浪費される食料もなかろう。当然、無駄にされる命も少なくなっていくだろう。動物の保護を求めるのであれば、殺さないことを考えるのではなく、どれだけ無駄な死を防ぐか…それが大切なのではなかろうか。
さて、今回引用してきた記事では、オーストラリアの反捕鯨活動家が総領事館で暴れたようである。朕は調査捕鯨が「冷酷で最低」とは思わないが、調査捕鯨をする必要はないと考えている。調査捕鯨ではなく、食料調達のための「漁」を行うべきであると考えている。それは勿論、需要に見合った分だけの漁を行うべきである。ところで、反捕鯨活動家たちに対してしばしば「牛を殺すくせに…」という論法で彼らを批判することがある。全くその通りであるのだが、朕は殺すこと自体は批判しない。むしろ朕は、彼らが「殺す」という行為を牛に限っては目を向けていないのだとしたら、そのことに対して怒りを感じる。いったい何様のつもりだろうか。神にでもなったつもりなのだろうか。命に優劣はあるのだろうか。そう思うと、彼らの活動には共感できない。話は変わるが、鯨の種類や部位によって味は違うのかもしれないが、鯨の肉はカツオのような味がする。肉はもっちりした感じだ。
領事館に対してしたことも、いろいろ批判されるべき点があるが、今日はとりあえずここまで。

床屋

床屋には、大学に入って以来、2回しか行っていない朕だ。

○激安「1000円」理髪店と街の床屋さん どちらが生き残る?(J-CASTニュース)

  • 「QB HOUSE」の店舗数は年々増加している

「10分」という早さと「1000円」の安さを武器に、全国に368か店(2007年12月25日現在)を展開する「QB  HOUSE」(キュービーネット)。07年11月にイオンモール羽生店(埼玉県)や大塚駅前店(東京都)など5カ店、12月にもイオン富士南SC店(静岡県)と百合ヶ丘店(神奈川県)を出店し、相変わらず勢いがいい。ところが、理容業界からは「ひと頃ほど攻勢が強まっているという印象はない」(全国理容生活衛生同業組合連合会)との声が漏れる。激安店の出店は曲がり角にきたのか。
激安店は、女性が利用する美容院にも広がっている。…

  • 東京都内はすでに減少傾向?

従来の、いわゆる町の理髪店で構成されている全国理容生活衛生同業組合連合会(全理連)の話では、「(激安理髪店の出店は)この1、2年は減少傾向にあるようです」という。一時は激安店に「常連客を奪われた」との声も多く聞いたが、それも以前に比べて聞かなくなった。激安店がすでに飽和状態にあるとみているようだ。
町の理容店では、「リニューアルオープンは目立つ。(激安店は)集客力が勝負だから、立地のよいところにつくり直し、その一方でコストを削りながら利益を上げるしかない。家賃負担や移転費用などが思った以上にかかっているのではないか」とみている。
…「(町の理髪店は)顔の特徴をつかみ、それによってカットの仕方や手順が違います。いわばデザイン料が含まれているんです」…半面、美容師と違って、こちらの悩みは理容師不足。若手のなり手がおらず、高齢化が進んでいることや、激安店のようにシャンプーやクリームの一括購入ができないため、仕入れコストが高いのが難点。…
[J-CASTニュース:2007年12月29日 15時15分]

朕が初めて行った記憶がある床屋は、朕の父方の爺さん・婆さんの家の近所の床屋さんである。床屋としてはかなり大規模で、床屋夫婦と他に3人くらいが働いていた。床屋にいくとある、あの独特の椅子も5脚あったように記憶している。その床屋は拠点を移し、現在朕の実家がある町に移っている。今は夫婦二人でやっているようだ。
朕が最後に床屋に行ったのは、多分大学2年生のころではなかっただろうか。それ以後は自分でバリカンを使い、坊主頭にしている。電気バリカンを買うための初期投資が2000円程度である。特に髪型にこだわりがなければ、これほど安上がりなものはなかろう。
一方、一般社会人で、人と面と向かい合うような仕事をしている人は坊主頭は憚られるように思う。まぁ、七三ワケができるような長さで持って髪の毛をそろえるのだろうか。いずれにしても、坊主にする人は少ないだろう。そうなると、やはり床屋は滅びる類のものではなかろう。
朕が床屋に行くと、大体はスポーツ刈りにしてもらう。金を払ってやってもらうのだから、向こう3ヶ月は床屋を再訪したくはない。朕のように、髪型にこだわりが何も無い人間にとっては、床屋にはできるだけ行きたくないのである。また、人によっては、床屋で話しかけられるのが嫌…って奴もいるのではないだろうか。実は、朕はそれにも当てはまる人間で、床屋ではボーっとしているか、寝たふりをして過ごす。話すことは特にないし、向こうが話題を振ってくれても、朕にとって関心がないことであると、逆に話をあわせるのに苦しくなってくる。話をしてくれるよりは、すばやく終わらせて欲しい…朕はそう思いながら床屋に行く。
ただ、何回か行っていると、床屋は朕がどういう髪型にするのかを心得るものだから、朕が椅子に腰掛けた途端、そのままスポーツ刈りにしてくれる。会話もあいさつ程度にとどめてくれるお陰で、快適に過ごせるようになる。朕が新潟にいたときに、そういう床屋とめぐり合って、そこは非常に快適だったし、腕もよかったように思う。
どっちも同じ条件であるならば、当然料金の安いほうに行くんだが、朕としては変な頭にされてしまうくらいなら、少しの出費は我慢して、町の床屋に行く。まぁ、スポーツ刈りを失敗する床屋なんているのか分からんが。ただ、シャンプーと髭剃り、髭剃り後のマッサージはして欲しい。となると、やはり朕は床屋に行くしかないのだろうな。
朕としては状況や髪形のイメージに合わせて選びたいと感じた次第である。

本当に事故なのか?

ただ溺れたわけではあるまい…って感じの朕だ。

○園児、浴槽で水死=スポーツクラブ合宿中−三重
12月28日13時31分配信 時事通信
27日午後8時45分ごろ、…浴場で倒れている幼稚園児を発見。搬送先の病院で約1時間後に死亡が確認された。死因は水死だった。県警伊賀署は事故とみている。
調べによると、亡くなったのは兵庫県川西市南野坂の広瀬瑛星ちゃん(5)。…*1

朕も合宿という行事には、何かにつけて参加してきた。スポーツであれ、勉強であれ、その目的はいろいろだと思う。ただ、そういうところでは、いろいろストレスがたまる。練習疲れや勉強疲れ、自分の生活リズムとは異なる日常…いろいろあるだろう。そのストレスを発散する機会というのは、意外と少ない。食事、風呂、睡眠…こんなところか。もしかすると、レクリエーションが催される場合もあるかもしれないが、厳しいところではそういうこともないかもしれんな。
さて、件の事故は、風呂場での出来事であったようで、子供がいるところでは「お約束」と言えよう。特に、幼児は目を離してはいけない年頃であろう。リラックスする場ではあるが、同時に遊び場でもある。「お風呂プール」はもっともベターな遊びだろうが、床に石鹸をあわ立て、その上で滑って遊ぶなんてこともありえよう。ただ、これらの遊びには事故がつきものである。また、悪ふざけが過ぎると、「事故ではない」ことも起きてしまう。例えば、何秒もぐっていられるのかを競争しているうちに、盛り上がってきて頭を押さえていたら…何かが起きるかも知れんな。それを警戒して、普通は大人がつくべきなんだと思うのだが、今回の「事故」ではどういう状況だったのだろうか?
年の瀬になんとも痛ましい話である。警察がどういう捜査方針を立てているのかは知らんが、年の瀬だからといって適当に扱って欲しくはないものだ。子供は意外と怖いよ。殺しておいて、悪いことをしたとも思っていない奴が跋扈している時代だからな。とりあえず、死人に口無し…というのは勘弁して欲しいものだ。

創価学会の家庭に対する一雑感

暇つぶしにネットを眺めていたら、『創価学会放棄宣言』というサイトを見つけた朕だ。
まぁ、まるで朕が「発掘」したような言い草だが、知る人は知っているし、知らない人は知らない、そういうサイトであろう。だって、必要である人にとっては知られるべきサイトだし、必要のない人には知られることもないであろうサイトだからである。『創価学会放棄宣言』の中身については、朕は一切見ていない。なぜなら、朕には「必要が無い」からだ。このサイトは「創価学会を頭ごなしに糾弾する」類のサイトではなさそうな印象を受ける。朕はトップページとサイトの概要を拝見させていただいただけなので、その全容は知らぬが、少なくとも、見ただけの範囲では「創価学会を辞めようと思う人」や「関わりがある人」の心の傷や不安を癒す空間というのが狙いであるようだ。
実のところ、朕は創価学会の家庭と関わったことがある。大体、そういう家は池田大作氏の写真を天皇の写真のごとく飾り立て、同氏の書物がやたらと並んでいる…そういうイメージがあった。しかし、実際のところ、本がたんまり並んでいるだけで、写真はなかった。ただ、強い嫌悪感を抱いたのが、集金目標みたいなグラフが張り出されていたり、布教目標みたいなグラフが張り出されていたり、選挙で誰を当選させるぞ…っぽい目標を書いた紙を張っていたり…。二つの家庭に関わったが、どっちもナカナカのものであった。
子育てにも特徴がある。父親か母親のどちらかは非常に無責任。人任せ。過保護。いわゆる「モンスター親」的な特徴がある。一見、正論を言っているようにも見えるのだが、結局は自分の見かけを気にした発言であることに気づかされる。まぁ、これが創価学会にいるから…ってこととイコールで結びつける妥当性はないが…。余談だが、子供も変な面ばかり影響されていることもある。これとて、創価学会員の家だから…と断言できる根拠は一切ない。しかし、朕の経験上の傾向として、そういうものを感じるということは事実である。
ところで、朕はいい思いをさせてもらったこともあった。これは家にもよるんだが、割と金持ちが多いので、小遣いや手間賃をもらえることが多かった。割と高級めなお菓子ももらえたりした。はっきり言って、朕は創価学会員の家庭の親と仲良くできたためしはなかったが、「実」の面ではおいしいところではあった。
朕が金持ちではないからなのかもしれないが、とりたてて勧誘をされたこともなかった。別にそうであるのならばどうでもいいような気がする。そう思う人が多いだろう。ところが、実際関わるとなると、一癖も二癖もある人がその家に一人は間違いなくいる。入会を勧められるウザさを耐えられたとしても、あの人たちと関わるには、かなりの忍耐が必要とされる…と思うのは朕だけだろうか。
創価学会放棄宣言』では、友人や恋人の中に学会員がいたら、その人と縁を切ることも覚悟するように言っている。正直、そこまでするべきかどうかは分からない。しかし、朕は二つの家庭と関わったが、「三軒目」は勘弁して欲しい。マジで。疲れる。