創価学会の家庭に対する一雑感

暇つぶしにネットを眺めていたら、『創価学会放棄宣言』というサイトを見つけた朕だ。
まぁ、まるで朕が「発掘」したような言い草だが、知る人は知っているし、知らない人は知らない、そういうサイトであろう。だって、必要である人にとっては知られるべきサイトだし、必要のない人には知られることもないであろうサイトだからである。『創価学会放棄宣言』の中身については、朕は一切見ていない。なぜなら、朕には「必要が無い」からだ。このサイトは「創価学会を頭ごなしに糾弾する」類のサイトではなさそうな印象を受ける。朕はトップページとサイトの概要を拝見させていただいただけなので、その全容は知らぬが、少なくとも、見ただけの範囲では「創価学会を辞めようと思う人」や「関わりがある人」の心の傷や不安を癒す空間というのが狙いであるようだ。
実のところ、朕は創価学会の家庭と関わったことがある。大体、そういう家は池田大作氏の写真を天皇の写真のごとく飾り立て、同氏の書物がやたらと並んでいる…そういうイメージがあった。しかし、実際のところ、本がたんまり並んでいるだけで、写真はなかった。ただ、強い嫌悪感を抱いたのが、集金目標みたいなグラフが張り出されていたり、布教目標みたいなグラフが張り出されていたり、選挙で誰を当選させるぞ…っぽい目標を書いた紙を張っていたり…。二つの家庭に関わったが、どっちもナカナカのものであった。
子育てにも特徴がある。父親か母親のどちらかは非常に無責任。人任せ。過保護。いわゆる「モンスター親」的な特徴がある。一見、正論を言っているようにも見えるのだが、結局は自分の見かけを気にした発言であることに気づかされる。まぁ、これが創価学会にいるから…ってこととイコールで結びつける妥当性はないが…。余談だが、子供も変な面ばかり影響されていることもある。これとて、創価学会員の家だから…と断言できる根拠は一切ない。しかし、朕の経験上の傾向として、そういうものを感じるということは事実である。
ところで、朕はいい思いをさせてもらったこともあった。これは家にもよるんだが、割と金持ちが多いので、小遣いや手間賃をもらえることが多かった。割と高級めなお菓子ももらえたりした。はっきり言って、朕は創価学会員の家庭の親と仲良くできたためしはなかったが、「実」の面ではおいしいところではあった。
朕が金持ちではないからなのかもしれないが、とりたてて勧誘をされたこともなかった。別にそうであるのならばどうでもいいような気がする。そう思う人が多いだろう。ところが、実際関わるとなると、一癖も二癖もある人がその家に一人は間違いなくいる。入会を勧められるウザさを耐えられたとしても、あの人たちと関わるには、かなりの忍耐が必要とされる…と思うのは朕だけだろうか。
創価学会放棄宣言』では、友人や恋人の中に学会員がいたら、その人と縁を切ることも覚悟するように言っている。正直、そこまでするべきかどうかは分からない。しかし、朕は二つの家庭と関わったが、「三軒目」は勘弁して欲しい。マジで。疲れる。