皇帝的2007年反省会

今年一年の反省をしようと思う朕だ。
今年の1月から3月まではあらゆる忍耐力を問われる期間であった。初めて外向けの雑誌に記事を書く羽目になり、なれない編集活動に苦しんだ。また、ことごとく自分の執筆能力の無さを思い知らされることとなった。これによって先生方や先輩にご迷惑をおかけした。ただ、このときの苦痛は一応後に生かされ、ロジカルに執筆する能力がついてきたし、日本語も相当丁寧にすることができるようになった。もっとも、ここで書いている時は相当適当で、時には読み返して修正を加えているのだが。
4月から6月は教育実習の準備活動やその実地でほとんどが潰れた。中学校の教育実習であったが、正直苦痛以外の何物でもなかった。馬鹿なのは仕方がない。間違いは誰にでもある。それは別に構わない。しかし、授業中ことあるごとに集中力が切れることには我慢ならなかった。普段からまじめクラスであれば、合間合間に閑話休題を入れることもできるが、総じて悪ふざけクラスとなるとそれもままならない。ひとクラスだけまともなところがあって、そこでの授業は楽しかった。苦痛が多いからこそ、そう思ったのかもしれない。まぁ、授業はともかく給食時や休み時間はいろいろ楽しいことがあったことも事実だから、全否定はしない。しかし…もう、うんざり。やはり中学校で先生はできん。いくら先生になりたいといっても、何でもいい…ってワケではあるまいな。ただ、朕自身も反省しなければならない点もある。指導の先生に気を使いすぎて、その先生の教え方にあわせていた。しかし、他の先生と教える知識のことで論争になったとき、朕が言い過ぎたことをお詫びしに行ったら、「実習生は生意気なくらいが丁度いい」とおっしゃってくださった。そう思うと、あえて指導の先生に合わせる必要は無かったようにも思う。もっと、朕のだらけるときはだらける、やるときはやるという、緩急ある指導法をやっても良かったように今は感じる。
この時期に、朕は国家公務員試験を受けた。前の日に仙台のある女子大学の学生さんとバーべキューをしていたくらい、適当に受けた。勉強なんか1分もしていない。それくらい適当だった。しかし、世の中とは不思議なもので、やりたいとは思っていない方向には上手くいってしまうものである。なぜか一次試験を通過してしまった。とりたてて就職活動をしていなかった朕は、結構貴重な切符を手に入れたことになる*1。その一ヵ月後に二次試験を受けて、そこで色々ぶっちゃけまくってしまった。この段階で、朕は少々派手にやりすぎたと思ったので、2008年はルンペンになる覚悟をしていた。
7月から9月は…調子に乗って遊びすぎたw まぁ、笑い事じゃないんだが…。7月の頭から末まで、教員採用試験が目白押しであった。多分、その反動もあったかもしれない。勉強自体は一応、やってはいたのだが、日本史が相変わらず弱い。日本の仏教史を概観せよなんて問題もあったが、用語を指定されると逆にやりにくい。いや、逆に用語が指定されているということは、その用語が登場する時期のポイントに絞って解答できるから、ある意味楽ではある。しかし…それって勉強している人だからできることだよな。見通しが甘かったなぁ。一方、別の国家公務員試験の二次試験の結果発表は9月に行われた。結果は見事というか、なんというか、合格であった。教員採用試験はこのときまでに全滅していたので、朕はルンペンになることを回避するために、已む無くその現実を受諾することとした。とりあえずは逃げ込んでおく。そしていずれ気が熟したら、再び活動を開始する。それで良しとすることとした。
10月から12月は体調不良が著しい期間であった。体調不良の合間に省庁研修でたっぷりいい思いをさせてもらっていた。まぁ、いい思いといっても普段見せてもらえないものを見せてもらったり、色々な裏話を聞かせてもらったり…といったことであるが。まぁ、こんな調子で今に至るわけだ。今は論文の執筆でぐったりしておる。

一年を総じて、去年と引き続いて研究室内の冷戦を戦うことを強いられ続けた。正直、精神的にかなり参ってしまい、それで病院にいったこともある。まぁ、薬をもらうほどじゃなかったし、朕も薬は断ったのである。薬は最後の手段であって、それまでは静養や遊びによって対処してきた。論文ストレスによって、精神的な面にぶり返しがみられるようになってきたが、あと少しの辛抱である。諸君はどのような一年であっただろうか?

*1:就活は、とある旅行会社の試験を受けたが、数学的な問題において壊滅してしまった。一応、二次面接までは通ったのだが、まぁ、誰でもそこまではいけるもんな。