食いモンがなければ生きられない。

二日ばかり実家に帰っていた朕だ。就職に際して必要な書類などを入手しつつ、ぬくぬくしていた。
で、久々に更新しようと、ココロにネタをもらおうかと思ったのだが、どうも芸能ネタとか、中国がらみのネタばかりで、少々しつこい感じがしたから、自分で探すことにした。で、見つけてきたのが以下の記事である。

○コメ、「学校給食の全部に」 意見相次ぐ 農水省会議で
2008年01月22日10時13分
…「食料の未来を描く戦略会議」(座長=生源寺真一・東大大学院教授)の4回目の会合がこのほどあり、主要穀物で唯一自給できていながら、需要減と価格下落が目立つコメの消費をどう増やすかの案が出席委員から相次いだ。
「東南アジアで食べられているきしめんのようなコメのめんがある。これを、もっと日本で食べられるようにしてはどうか」。ベトナムの「フォー」を念頭に、こう発言したのは米倉弘昌住友化学社長。…野菜生産を手がける沢浦彰治・グリンリーフ社長と川勝平太静岡文化芸術大学学長は「給食の影響は大きい。(小中学校の)給食すべてをコメにすべきだ」と主張した。文部科学省によると、国公私立の小中学校などで、給食で米飯が出る回数は06年度で週2.9回。3回に増やす目標を掲げるが、都市部などではなかなか増えないという。食文化をはぐくむにはパンなどを食べることも大切、との意見もある。
コメを、ビーフンなどのめんやパンにして消費を増やそうという動きは出始めているが、コメの価格が輸入小麦の4、5倍もすることがネックになっているという。
コラムニストのももせいづみさんは「食べ物を強制的に押しつけるようなメッセージはよくない」と述べた。*1

今日の日記の内容には二つの議論がある。一つは米の消費について。もう一つはももせ女史の発言の引用のされ方である。これらはまるで別の議論が展開されるので、今のうちに言っておく。
まず、第一の話題である米の消費について。朕は仙台の学校給食で「米粉パン」を食したことがあるが、なかなかおいしいものだった。普通のコッペパンを食うくらいなら、絶対に米粉パンを食う。何もつけなくてもおいしかった。全国的にみてもショボイことが知られている仙台の給食であるが*2、朕は米粉パンに関しては最高の賛辞を送りたいと思う。さて、引用記事では、米を原料にした麺を導入せよ…的意見や、給食の全食を米にせよ…的意見がある。これにたいして、食文化が一辺倒にることを危惧する意見も出されたようだ。朕はこれらの議論に対して、実際に食っていた人間の経験として意見を言いたい。朕は給食のとき、食パンだと心底がっかりしたもので、薄っぺらい食パンを二枚食べた程度で腹が満たされるわけもなく、お代わり争奪戦を戦い抜かざるを得なかった。また、麺の場合、袋詰めされている「ソフト麺」というものを使う地域と、大きなバケツ状の容器に麺と汁を一緒くたにして提供される方式がある。ソフト麺の場合は汁に放り込むとやや冷えてしまうことがあったし、バケツに最初から入っていると、往々にして麺は伸びきっている。これらの事情を背景として、朕としてはご飯食を熱望していたものである。仮に、給食をすべてご飯食にしたとして、うどんやスパゲティー、パンなどは家で食えばよい…という意見が出てもよい気がする。まぁ、でもね…週の一回くらいはあの伸びきった麺が懐かしくなるってことも無きにしも非ずな気がするから、全部というのはやりすぎ感もあるかもしれない。
さて、二つ目の話題。ももせ女史はこの会議のメンバーの一人としてこの会議に参加しており、引用された発言はそのときのもののようである。この記事の引用のされ方では、米製麺や給食全ご飯食化論者にたいして、反発し、そのような考え方に反対であるという印象を与えている。極端な意見に対して、このような反論を記載することによって、朝日新聞米食推進論者たちを批判しようとしたのだろうか。そこらへんはよくわからんが、この会議が何を議題にしていたのかを整理したうえで、ももせ女史の発言の意図を考えてみたい。
この会議は、記事で取り上げられるまでに少なくとも三回は開かれたようである。記事で取り上げられているのはその四回目のものであったようだ。この会議の挨拶で、若林農林水産大臣は会議の課題として「将来的には穀物価格が更に上昇する可能性がある。本日は、
このような現状と見通しを受けて、我が国が将来にわたって安定的に食料を確保していくためには、どのような課題があり、そしてその課題にどう取り組んでいくべきか」ということを述べ、「ひとりひとりの国民が食料をめぐる問題を自分自身の問題として受け止め、自らの食生活を見つめ直すことや、生産者や食品・外食などの事業者が安定的な供給体制を構築するために主体的に行動することが必要」であるとしている*3。このような問題提起を踏まえたうえで、食料自給率をどうやって増やすのか、米の消費をどうやって増やすのか、国産農産物の消費をどうやって増やすのか…といったことが議論された会議だったのである。その中で、ももせ女史は「国民の取り組むべき課題の数が一番多くかつ、最初に掲げられているが、逆であり、国の課題がまずあるのではないか。自炊率が低い中で、総菜や外食が輸入食品を使っていることをまず改善すべき。最初にやるべきことは、国民の認識ということではない」、「お米は、美味しいから食べるのであって、押しつけても食べるものではない。また、消費者に賢くなれと言うだけでは、反発がある」、「『食育』は大事だが、度が過ぎて窮屈になっている。何を食べても美味しければ良いのではないかと消費者は思っている。提言は、国民に押しつけるようなものであるべきではない」といったのである*4。別に米食推進派を批判したわけではなく、国側の発想の仕方を批判しているのである。
朕は農林水産省が公開している会議要旨を根拠にしているので、もしかすると農林水産省側の恣意性も考慮しなければいけないかもしれないが、しかし、記事の引用のされ方だと、ちょっと考え物な気がする。まぁ、自分に都合のいい引用の仕方はよくない…ってことの一例だが、そういうと朕の論文は多分にそういう傾向が見られるわけで、心底がっかりさせられるものである。