孫子の兵法が正しければ、無防備都市は瓦礫の山。

普通に考えたら、強いものと弱いもの…当然弱いものを喰らうであろうと思う朕だ。

●無防備平和条例:札幌市が署名数確定、直接請求が成立 /北海道
札幌市民による「無防備平和条例」の直接請求運動で、市選挙管理委員会は16日、市民の署名を4万1619人と確定。市議会への条例提案に必要な法定数を1万427人上回り、直接請求が成立した。…以下略【内藤陽】
毎日新聞 2007年11月17日*1

孫子の兵法では、敵と戦わないようにするには、敵に強く見られるようにしておくべきだとされている(と思う)。強い奴に勝算もなく挑む奴はいない(と思う)。逆に、弱い奴はまさに「弱いものイジメ」をされる(と思う)。まぁ、侵攻された場合、さっさと降伏します…というのなら、町を瓦礫にされることは無いかもしれない。しかし、戦争の際に切っても切れないものがある。それは「人権侵害」だ。それこそ慰安婦にされたり、首を撥ねられたりするかもしれぬ。無防備ゆえに引き起こされそうな悲劇もありそうだのぉ。
町を瓦礫にされてみんなで死ぬか、誰かの人権を犠牲にして(まぁ、可能性の話だが)大勢が助かる道を選ぶか。或いは、最初から侵攻されないように、鉄壁の(ように見える)防御都市を築き上げ、どちらの可能性も日頃から低下させておくか…。お金で買えない価値を優先するのであれば、朕は鉄壁の(ように見える)防御都市を築き上げた方がいいように思うのだが…。
普通は、どこの国も戦争をしたいとは思っていない…と信じている朕としては、相手にいつまでもそう思ってもらったほうがいいように思うわけで、そう思ってもらうには、「ああ、あの国は攻めるだけ無駄…」と思ってもらうようにすることが肝要と思う。別に大金を費やす必要は無い。あくまでも「強そうに」見えればよいのである。もっとも、中途半端なのは良くないな。中途半端にするくらいなら、最初から無防備な方がいいかもしれない。