真の平等社会にむけて

人間が平等であるのならば、そのうちに秘められた悪意もまた、平等なのかもしれない…って感じの朕だ。

○脳性マヒの殺人鬼 ― 『おそいひと』主演・住田雅清インタビュー
昨年から今年にかけ、数多の海外映画祭で注目を浴びた映画『おそいひと』が、この度、ようやく国内で公開される運びとなったという。『おそいひと』は実際に脳性マヒを持つ重度の障害者・住田雅清が、本名と同じ役で「脳性マヒの連続殺人鬼」という難役に挑んだ作品である。2004年、東京の映画祭でプレミア上映されたが、「障害者に対する偏見や誤解を与える」、「差別を助長する」といった様々な批判が集中した。そして国内での配給が一向に決まらぬまま、作品は黙殺されるように、お蔵入りしたという。しかしそれ以後、同作品が海外の映画祭で話題を集めると、日本にも再び話題が飛び火、言わば逆輸入される形で、ついに国内の一般上映が開始されたのである。*1

人間は、それを実行するかどうかはともかく、誰しも「殺意」を抱くことがあろう。仮に、殺意を持たないとしても、堕落や退廃に陥る人間は必ずいるだろう。かく言う、朕がまさにそれであるが…。そういった殺意や、堕落や退廃といったものは、健常者にしか見られない現象なのだろうか?
この作品は、ある意味において人間の「普遍性」を提示しているといえよう。この映画で主演された住田氏は、インタビューの中で「今までの障害者が出ている映画はドキュメンタリーも含めて、お涙ちょうだいか頑張る障害者像を描いている映画ばかりで、私はそういう描き方にすごく違和感と反発を感じていました。…障害者の中にも頑張らない者もいるし、大酒飲みもスケベエもいるし、詐欺師も泥棒もいます。そのことをこの映画は連続殺人という極端な表現で描いていると思います。」と述べている。要するに障害者も普通の人間なのであるということを述べているのだ。
この映画には、当然のごとく障害者差別を助長するといった批判が寄せられたようである。しかし、そういった批判をする人たちこそ、かれらを同質の人間として捉えていないという批判がなされるべきである。いや、朕もこの記事を見るまではどこかで障害者の人は「何か違うところの人」という感覚でいた。だからこそ、このようにして取り上げているわけである。だから、そういう意味では朕も勉強不足の批判を受けなければなるまい。…まぁ、勉強しなくても、彼らを同じ人間と思っていたら、当の昔に気づいていたことなのかもしれない。
朕は介護体験で、宮城県内の某施設で研修させてもらったことがある。その施設で、朕はある中年のおじさんと親しくさせてもらった。そのおじさんは、その気になれば施設の外でも暮らせるような人なのだが、いろいろな事情からそこで暮らさざるを得ない状況であった。このおじさんは、なかなか助平で、施設にいる女の人を口説いているような方だったが、根はしっかりしておられる方で、朕の相談にもよく乗ってくれた。一方、普段は大人しく、物静かな女性がいたのだが、ちょっとしたことで激昂し、殴りかかったり、相手を壁に打ち付けたり…といったことがあった。しかし、これらの話というのは、そこら辺でもよく見られるようなことで、今になって思えばこれといって珍しいことでもなかったのである。だから、朕は彼らを「人間」として見る心構えを持たずに、そこにいってしまったわけだ。
この映画は全国放映されるわけではないようで、東京の「ポレポレ東中野」という映画館で放映されているようである。機会があれば、見に行きたいものだ。

*1:X51.org http://x51.org/x/07/12/2050.php。記事の初出日は不明。